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怨骨髄に徹す

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-13 19:00:00  点击:  切换到繁體中文

 

周の天下が乱れ、世は春秋の時代となった。その春秋の五人の覇者の
一人となった秦の繆公は、名臣百里奚・蹇叔らの献策によって着々国力
を充実させていた。繆公は晉を援けて、となりの鄭を討とうとしたが、
二人の名臣が口をそろえて、その無謀を止めたため、一旦はその忠言を
聞き入れた。しかし、どうしてもあきらめ切れぬ繆公は、数年経ってつ
いに二人の言をしりぞけて兵を発した。秦兵は東へ進んで晉の一部を通
り、周の北門にさしかかった。
 
 鄭の商人で弦高という男が、十二頭の牛を売ろうとして周に来ていた
が、秦軍の意図を知ると、その牛を秦軍に献じて言った。
 
 「鄭の君は大国の秦がわが国をこらしめようとしておられることを
  聞き、秦軍の将士をねぎらうため、十二頭の牛を秦軍に贈るよう
  命じました。どうぞお受けとり下さい。」
 
 これを聞いた三人の秦軍の大将は額を集めて相談した。
 
 「鄭め、なかなか味なことをやるではないか。こちらの作戦を悟ら
  れたからには、こりゃ鄭征伐はやめて、晉の一部である滑を攻め
  た方がよいぞ。」
 
 秦軍はなだれを打って滑に押し寄せた。
 
 当時、晉の国では五覇の一人となった文公が死亡し、まだ葬らずにい
たので、皇太子の夷吾(襄公)は怒った。
 
 「おのれ秦め、自分が父を失って弱っているとあなどり、晉の領地
  を侵したな。」
 
 さっそく、勇将を派遣して、秦の軍をさんざんに打ち破った。秦軍は
大敗し、一人としてのがれる者なく、全員討死にまたは捕虜となった。
 
 三人の大将も、もちろん捕らえられて襄公の前に引き出された。とこ
ろが文公の夫人、すなわち襄公の母は秦の繆公の娘なので、さっそく、
襄公のところへ行って、三人の命請いをした。
 
 「お前、あの三人を殺しちゃいけないよ。繆公の、敗けたこの三人
  へのお怨みは、骨髄に入っていなさるだろう(繆公の此の三人を
  怨む、骨髄の入るならん)。だから、三人を秦に帰し、繆公のな
  さりたいように処刑させてあげておくれ。」
 
 襄公もなるほどと思って三将を帰した。
 
 ところが繆公は城外まで、この三人を迎えた。そして三人を見ると、
ワッと泣き出して言った。
 
 「わたしが、鄭を攻めてはいけないと言う二人の名臣の言をきき入
  れなかったため、こんなことになったのだ。君ら三人になんの罪
  があろうか。」
 
 繆公はこの三人を咎めず、いよいよ重く用いた(『史記』秦本紀)。
 
 
 もう一つの話――
 
 同じく春秋戦国のころ。呉と越とは宿命の仇敵として争っていた。そ
の何回目かの戦いで父親を殺された呉王夫差、歯ぎしりしてくやしがっ
た。
 
 「おのれ、越王勾践め。父を殺された怨みは、たとえ十年間、顔を
  洗わず、湯を使わなくても、骨髄に徹して忘れぬぞ。覚えておれ
  勾践め、必ずこの仇を討たずにおくものか!・・・」
 
 こうして、夫差の「臥薪」が始まったのである(『漢書』呉王伝)。
 
 


 

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