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食指動く

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 16:54:00  点击:  切换到繁體中文

 

 周の定王の二年(すなわち、魯の宣公四年、鄭の霊公元年)、楚の国の
人が大きなスッポンを鄭の霊公に献上した。公子の子宋(字は子公)と子
家(名は帰生)とは参内しようとしていた。そのとき、子公の食指、すな
わち人指し指が動いた。そこで、食指の動くのを子家に見せて言った。
 
 「いつも私の指がこうなるときは、
  きっと珍味が味わえるのですよ。」
 
 参内してみると、料理人が大きなスッポンを料理しようとしていると
ころだったので、二人は顔見合わせて思わず笑った。霊公がわけをたず
ねたので、子家が、実はこうこうしかじかと申し上げたのである。
 
 さて、大夫、すなわち子公と子家にスッポンをごちそうする時になっ
て、子公をお召しになった。というのは、子公に料理を食べさせまいと
したのである。ただ食指が動いたのを無効にしようという軽い気持でや
ったことだろうが、子公は怒って指を鼎に染め、つまり、ナベの中へ指
をつっこんで、ペロッとなめるなり、さっさと退出してしまった。
 
 霊公も怒って子公を殺そうと思ったが、子公も霊公に先んじようと思
い、子家に相談をもちかけた。ところが子家は、
 
 「畜生の老いたのでさえ、殺すのは気が引ける。
  まして主君とあってみれば……」
 
 と受けつけない。それならばと、子家を公に悪しざまに申し上げよう
としたので、子家はおそれて子公のいうことをきいた。そうして夏、霊
公は弑されたのである。
 
 
 「左伝」に「《鄭の公子帰生が、その君である夷(霊公の名)を弑した》
と《春秋》にあるのは、実際は子家が公を弑したのではないが、子家に
子公を押し止める力がなかったからである。だから、有識者は、子家は
仁ではあったが武でなく、真にすぐれていたとはいえない、といってい
る。すべて君を弑した場合、君の名があげてあるのは君が無道であり、
臣の名があげてあるのは臣に罪があるのである。だから、この場合、君
臣ともに良くなかったのだ」という意味のことを述べているが、ともか
く、こと食事に関しての怨恨というものは大きい。
 
 食指というのは人指し指のことで、孔穎達は五本の指を、巨指・食指・
将指・無名指・小指とよび、足では大指が将指であるが、手では中指が将
指であり、食指は食事だけに用いられるといっている。
 
 
 「食指動く」という言葉は、食欲が起ることや、物事に対して欲望を感
じることに用いられるし、また、ここにある「指を染む」という言葉は、
物に指をつけて誉めてみることから、さらに、物事に着手するとか、分
外の利益を受けることに用いられる。
 
 


 

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