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清 談

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 16:56:00  点击:  切换到繁體中文

 

 世に“竹林の七賢”――竹の林に集いする七人の賢人達というのは、
魏晉(西暦三世紀後半)の時代に生き、その奇矯放達の言動によって世評
の中心になった一群の名士達、山濤(字は巨源)・阮籍(字は嗣宗)・稽康
(字は叔夜)・阮咸(字は仲容)・劉伶(字は白倫)・向秀(字は子期)・王戎(濬仲)の七人をいう。
 
 彼らは、その時代の目まぐるしい政治社会の変転を目睹し、政治的権
力者とそれに追随する世俗的官僚士人の陋劣な生活態度にあきたらず、
欺瞞的な儒教的名教礼節の束縛を嫌悪して、ことさらに奇矯放達の言動
を敢えてし、飲酒への陶酔と超世間的な老荘思想への心酔に身を委ねた
のである。
 
 
 “竹林の七賢”とよばれるのは、彼らが騒然たる世情をよそに相携え
て“竹林”に遊び、酒に酔いしれては“清談”に耽ったからだという。
しかし、そのグループ的行動が続いたのは、魏朝末年のごく短い時期の
ことであったと思われるし、その竹林の在り場所も当時の首都洛陽の近
郊というだけで、さだかなことはわからない。私達はただ“竹林”とい
うことばから、世俗の塵埃から超脱した清高飄逸の雰囲気を象徴的に感
じ取ればよいと思う。では“清談”とは何か。女三人よれば“姦”をな
す。ましてや大の男が七人よって酒に酔いしれての“清談”ならば、ま
ずもって“セイ談”すなわち風流滑稽談の類であろうと勘ぐるのは、し
ょせん私達衆愚の衆愚たる所以であって、“七賢”ともなれば“清談”
とはすなわち清新奇警の談、つまり世俗の名利・悲喜を越えた高邁な精
神の自由の世界を主題とした、清新奇矯な老荘の哲学を論ずることであ
る。もっとも、今日現代の紳士諸“賢”には老荘の哲学など晦渋難解に
すぎるというのならば、必ずしも老荘でなくても良い。要は清高超俗の
談、それが“清談”と諒解して下さればよろしい。スタンド・バーでハ
イボールを傾けてカミュを論じても、今様“竹林の清談”にはなり得る
のである。
 
 
 ただ何としても酒精だけは欠かせぬ。七賢をしてその名を高らしめた
所以も、その酒への陶酔であり、それによって彼らは汚濁の政治世界か
ら身を守り、名教道徳に抵抗したのである。浴びるほど酒を喰らって、
下らない俗物の来訪者を“白眼視”した阮籍、豚と一緒に大甕の酒のガ
ブ飲みを憚らぬ阮咸、酒くさい息をプンプンさせながら、素裸で家の中
にふんぞりかえり、訪ねてくる者に、
 
 「わたしにとっては、天地が棲家、
  このボロ家なんぞは褌にすぎん。
  君は何だって人の褌の中まで入りこんでくるんじゃ。」
 
 と嘯いた劉伶などはその典型だが、このような彼らの行動をいたずら
に外的に模倣するだけでは無意味である。人はすべからく、その中に、
虚偽の礼教道徳を憎み、自然の純真率直を愛する内心の欲求、世俗名利
の念をすてて精神の自由に生きんとする衝動を汲みとらなくてはならな
い。
 


 

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