您现在的位置: 贯通日本 >> 文学 >> 中国故事 >> 正文
天道是か非か

 漢の武帝の天漢二年に、太史令(記録官の長)であった司馬遷は、「李
陵の禍」によって腐刑(宮刑ともいう。去勢する刑罰)に処され、獄に下
された。
 
 廉直・忠誠の武将であった李陵は、五千の歩兵だけを率いて匈奴征伐
にむかい、文字通りの勇戦敢闘ののち、天漢二年に部隊は全滅し、彼自
身は、人事不省におちいっているうちに捕虜にされた。李陵からの勝報
がとどくたびに、武帝と漢室の百官とは喝采していたが、ひとたび敗報
に接すると、口をそろえて非難した。このとき、司馬遷のみ、敢然とし
て李陵を弁護したので、武帝の逆鱗にふれて獄に下された。これが「李
陵の禍」である。
 
 正当なことを正当に主張して刑に処された司馬遷は、何物をもたのま
ず、みずからの手によって、人間の正当な歴史を書きのこそうと決意し
た。一体、腐刑を受けた人士は、生きながらえるべきではないのに、こ
の決意のため、司馬遷は、あらゆる恥辱にたえて生きのび、懸命に書き
つづったのが「史記」である。彼のこうした決意は、従って、「史記」
 全篇を通じて痛烈に人の心に食いこんでくるのであるが、特に、「伯
夷列伝」は、端的にそれを愬えている。彼は言う――。
 
 よく「天道親なし、常に善人に与みす」という人があるが、これは、
人間が空しく天に期待している言葉である。この言葉のとおりなら、善
人はつねに栄えるはずである。ところが、そうはいかない。伯夷・叔斉
が、仁を積み、行いを潔くしたことは伝えられるとおりだが、しかし、
彼らは餓死して果てた。また、孔子の七十人の高弟のうちで、孔子が、
真に学問を好むものとして賞揚したのは、顏淵ただ一人であるが、その
優秀な顏淵は、つねに非常な貧乏に苦しめられ、米の糠さえも満足に食
べることができずに、栄養失調にかかって、年若くして死んでしまった
ではないか。これでも、天が善人に与みすといえるのだろうか?また一
方、あの有名な大悪党の盜跖は、日ごとに罪のない人民を殺し、無惨に
も人の肉を膾や脯にもしたほど、ありとあらゆる悪事を公然と行い、数
千人にのぼる徒党をあつめて天下に横行したのに、しかも、ヌクヌクと
して、長寿を完うしているのだ。これは、一体、どんな徳があったから
なのであろうか?
 
 以上はあまりにも顕著な例であるにしても、これに類似した事柄は、
日常茶飯のあいだに、われわれの周囲にいくらでも起っている。すこし
注意してみれば、操行のおさまらないままに世の中の秩序をみだし、し
かも、一生逸楽して、富を子々孫々に伝えるものも少くないし、その一
方では、また、つねに恭謙に身を持し、正しい道のみを歩みながら、災
禍のとりことなるものも、数えきれないほどである。それやこれやを通
観してみると、ここに重大な疑問が残る、「天道是か非か」と。
 
 
 この話は、前半を「史記」の「太史公自序」から、後半を「伯夷列伝」か
ら取った。「天道是か非か」という天を疑う悲痛な言葉は、「伯夷列伝」に
ある。
 

[1] [2] [下一页]

作品录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作品:

  • 下一篇作品:
  • 发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

    相关文章

    李下に冠を整さず
    陽関三畳
    無用の用
    矛 盾
    満を持す
    不倶戴天の讎
    百聞は一見に如かず
    誹謗の木
    顰みに効う
    杯中の蛇影
    年々歳々花相似たり
    人間万事塞翁が馬
    鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん
    似而非なる者
    錦を衣て夜行くが如し
    南風競わず
    何の面目あってか之を見ん
    南柯の夢
    涙を揮って馬謖を斬る
    飛んで火に入る夏の虫
    虎を画きて成らず反りて狗に類す
    虎の威を借る狐
    塗炭の苦しみ
    独眼竜
    蟷螂の斧