驢馬の背にゆられながら、なにやらブツブツつぶやきながら、しきり
に妙な手つきをしている男があった。往きかう人々は、無遠慮にジロジ
ロ見るのであったが、彼は放心したように、驢馬がどこへゆくのかも知
らぬげな様子だった。
賈島は、驢馬にのってゆくうちに、詩ができたのであった。「李凝の
幽居に題す」というので、
閑居隣並少なし
草径荒園に入る
鳥は宿す池辺の樹
ここまではスラスラとできたのだが、さてそのつぎの句を「僧は敲く
月下の門」としようか、それともこの「敲く」を「推す」にした方がよ
いか、ここでハタと迷ってしまったのであった。この二つを口に出して
いってみては、手で門をたたく仕ぐさをしてみたり、推す真似をしてみ
たりしているのである。
夢中になっていた賈島は、向うから高官の一行らしいのがきたのに気
づかなかった。相かわらずブツブツいって、手真似をしながらゆくうち
に、驢馬がその行列につっこんでしまった。
「無礼者め、なに奴だ!」
「控えろ、権の京尹(副県知事)韓退之さまをなんと心得る!」
衛兵たちは口々にののしりながら、賈島をひっとらえて韓愈の前に引
きたてていった。賈島は驚いて詩に気をとられて無礼に至った事情をの
べてひたすら詫びた。韓愈は馬をとめて、しばらく考えていたが、
「それは君、『敲く』とした方がいいな。」
といった。これが縁となって、韓愈は賈島の無二の詩友となり、庇護
者となったのであった。
これは「ショウ素雑記」による、中唐の詩人賈島の「推敲」の逸話で
ある。詩文の字句を練ることを推敲というのはここにはじまる。賈島の
詩は文字通り推敲を重ねたものだが、あまり字句の表現に凝りすぎて、
意味の通じないものがあるとも非難されている。